札幌地方裁判所 昭和51年(レ)9号 判決 1977年12月23日
控訴人(原審第一四六、第一四七号事件各原告、第三三号事件反訴被告) 石田カツエ
右訴訟代理人弁護士 横路民雄
同 村岡啓一
被控訴人(原審第一四六、第一四七号事件各被告、第三三号事件反訴原告) 岩崎宅次郎
被控訴人(原審第一四七号事件被告、第三三号事件反訴原告) 関根貞介
被控訴人(原審第一四七号事件被告、第三三号事件反訴原告) 家登セキ
右被控訴人ら訴訟代理人弁護士 荒谷一衛
主文
原判決を次のとおり変更する。
一 被控訴人岩崎宅次郎は控訴人に対し、別紙目録記載(一)の土地のうち、別紙図面(一)記載のPイロニPの各点を順次結んで出来る四角形の土地につき、また被控訴人ら全員は控訴人に対し、同目録記載(二)の土地のうち同図面(一)記載のRニロハRの各点を順次結んで出来る四角形の土地につき、それぞれ取得時効を原因とする各所有権移転登記手続をせよ。
二 控訴人が、被控訴人岩崎宅次郎との間で前項のPイロニPの各点を順次結んで出来る四角形の土地を所有していること、および被控訴人ら全員との間で前項のRニロハRの各点を順次結んで出来る四角形の土地を所有していることを、それぞれ確認する。
三 控訴人は、被控訴人岩崎宅次郎に対し別紙目録記載(一)の土地のうち別紙図面(一)記載のイロトホイの各点を順次結んで出来る四角形の土地を明渡し、かつ被控訴人ら全員に対し同目録記載(二)の土地のうち同図面(一)記載のロハトロの各点を順次結んで出来る三角形の土地上に生育する野菜類を収去したうえ同土地を明渡せ。
四 控訴人のその余の本訴請求、被控訴人岩崎宅次郎および被控訴人らのその余の各反訴請求は、いずれも之を棄却する。
五 訴訟費用は第一、二審および本訴反訴を通じ、これを二分し、その一を控訴人のその余を被控訴人らの各負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(控訴人)
控訴代理人は、当審において本訴請求の趣旨を減縮し、あわせて反訴請求に対する控訴についても右減縮と対応する部分を取下げて、次のとおりの裁判を求めた。
一 被控訴人岩崎宅次郎は控訴人に対し、別紙目録記載(一)の土地のうち、別紙図面(一)記載のPホトロニPの各点を順次結んで出来る四角形の土地につき、また被控訴人ら全員は控訴人に対し、同目録記載(二)の土地のうち同図面(一)記載のRニロトハRの各点を順次結んで出来る四角形の土地につき、それぞれ取得時効を原因とする各所有権移転登記手続をせよ。
二 控訴人が、被控訴人岩崎宅次郎との間で前項のPホトロニPの各点を順次結んで出来る四角形部分の土地を所有していること、および被控訴人ら全員との間で前項のRニロトハRの各点を順次結んで出来る四角形部分の土地を所有していることを、それぞれ確認する。
三 被控訴人岩崎宅次郎の反訴請求、および被控訴人ら全員の反訴請求はいずれも之を棄却する。
四 訴訟費用は第一、二審および本訴反訴を通じて、すべて被控訴人らの負担とする。
(被控訴人ら)
被控訴人ら訴訟代理人は、控訴人の請求の趣旨の減縮に同意し、控訴人の本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする、との裁判を求めた。
第二当事者の主張
一 本訴請求関係
(請求原因)
1 控訴人は別紙目録記載(四)(五)の各土地(以下本件土地(四)(五)という)の所有者であり、被控訴人岩崎宅次郎は同目録記載(一)(三)の各土地(以下本件土地(一)(三)という)の、また被控訴人ら全員は同目録記載(二)の土地(以下本件土地(二)という)の各所有者であって、その旨の登記を経由している。
2 しかして、本件土地(四)(五)のもと所有者であった訴外竹内タメは、昭和一七年四、五月本件土地(一)の一部である別紙図面(一)記載のPホトロニPの各点を順次結んで出来る四角形の土地(以下PホトロニP地という。尚以下同様の省略法を用いることがある)および本件土地(二)の一部であるRニトハR地を、本件土地(四)(五)とともに訴外笠原慶二に対して賃貸し、同人の占有を通して、PホトロニP地およびRニトハR地の占有を始めた。そして右竹内タメは昭和二七年四、五月ころ尚右両地を占有していた。
3 控訴人は昭和三六年八月二八日、右竹内タメより本件土地(四)(五)およびPホトロニP地、RニトハR地の贈与を受け、同三七年五月、これら両地を占有していた。
4 以上によれば、訴外竹内タメは遅くとも昭和二七年五月を経過した時点においてPホトロニP地およびRニトハR地の両地を時効によって取得しているから、控訴人において之を援用し、しからざるも控訴人において取得時効が完成しているので、之を援用する。
よって控訴人は、被控訴人岩崎宅次郎に対しPホトロニP地の所有権移転登記手続を、被控訴人ら全員に対しRニトハR地の所有権移転登記手続を求めるとともに、右両地が控訴人の所有にあることの確認を求める。
(請求原因に対する控訴人らの認否)
1 請求原因第1項は認める。
2 同第2項は否認する。
PホトロニP地は本件土地(一)の一部として、またRニトハR地は本件土地(二)の一部として、被控訴人岩崎宅次郎および訴外永尾慶助において耕作し、占有していたのである。その占有期間と占有者との関係を述べると、昭和一三、四年ころから同一九年まで被控訴人岩崎宅次郎が、同年より同二一年まで右永尾慶助が各占有し、同年より再度被控訴人岩崎宅次郎にて占有していたのである。尚、右両地は現在控訴人において占有しているが、これは控訴人が昭和四一年ころより侵奪を行なった結果である。
3 同第3項は否認する。
4 同第4項は争う。
二 反訴請求関係(但し、前記の控訴一部取下にて確定したところを除く)
(被控訴人らの反訴請求原因)
1 訴外岩崎カツは昭和二六年三月一二日、訴外永尾慶助より同人所有にかかるPホトロニP地およびRニトハR地を含む本件土地(一)(二)(三)を買受け、これらの土地を所有していたところ、同二九年九月九日になって死亡した。
そして同日、PホトロニP地を含む本件土地(一)と本件土地(三)は被控訴人岩崎宅次郎が相続し、RニトハR地を含む本件土地(二)は被控訴人ら全員が相続した。
2 しかるに控訴人は昭和四一年ころからPホトロニP地およびRニトハR地にしばしば侵入し、ついに昭和四三年ころには右両地を侵奪し、RニトハR地に野菜類を成育させる等して、これらを占有している。
3 よって被控訴人岩崎宅次郎は控訴人に対し、PホトロニP地の所有権に基づく返還請求権により同地の明渡を求め、また被控訴人ら全員は控訴人に対し、RニトハR地の所有権に基づく返還請求権により同地に成育する野菜類の収去とその明渡を求める。
(反訴請求原因に対する控訴人の認否)
反訴請求原因第3項は争う。
(控訴人の反訴抗弁)
本訴請求原因第1ないし第4項に同じ。
(反訴抗弁に対する被控訴人らの認否)
本訴請求原因に対する認否に同じ。
第三証拠《省略》
理由
一 控訴人が主張する本訴請求原因第1項の事実は当事者間に争いがない。そして被控訴人らが主張する反訴請求原因第1、2項の事実は控訴人において明らかに争わないので、これを自白したものと看做す。
二 そこで本件での争点であるPホトロニP地およびRニトハR地について、取得時効が成立するか否かについて以下判断する。
(一) 《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。
1 分筆前の樺戸郡月形町字緑町一五六番一はその後分筆がされ、現在の本件土地(一)(三)および同所一五六番三に分れている。また分筆前の同所一五七番一もその後分筆がされ、現在本件土地(四)および同所一五七番三に分れている。なお同所一五六番三および一五七番三の各土地は、現在道々札幌沼田線の道路用地として利用されている。これらの各土地の位置関係は別紙図面(二)に示したとおりである。
2 これらの土地、即ち分筆前の一五六番一、二の土地および分筆前の一五七番一、二の土地はいずれも訴外永尾助左エ門が所有していたところ、同訴外人は死亡し、家督相続を原因として訴外永尾慶助(当時五才)が登記簿上の所有名義人となった。しかし、右永尾助左エ門は遺言書を残しており、それには右永尾慶助の兄(庶子)にあたる訴外永尾武に遺贈する旨が記されてあった。そこで関係人が協議した結果、分筆前一五六番一、二の土地は右永尾武が、分筆前一五七番一、二の土地は右永尾助左エ門の妹にあたる訴外竹内タメが各所有することで合意がまとまった。そして後者については右慶助が大正一二年一二月一〇日付で右タメに対し売渡したことにしてその旨の登記が経由されてたが、前者の登記簿上の所有名義人は依然として右慶助のままであった。
その後分筆前の一五六番一、二の土地は、昭和二六年三月一二日訴外岩崎カツに売渡されて同日その旨の登記が経由され、同二九年九月九日右訴外人死亡により同一五六番一の土地については被控訴人岩崎宅次郎が、また同番二の土地については被控訴人らが相続し、同四〇年二月一三日その旨の各登記が経由された(尚一五六番三の土地は同四〇年八月三〇日に分筆前一五六番一の土地から分筆され、一五六番四の土地は同四七年一〇月二日に一五六番一の土地から分筆されている。)。また分筆前の一五七番一、二の土地は大正一二年一二月一〇日に訴外竹内タメに売渡された旨登記が経由され、そして更に同訴外人は昭和三六年八月二八日控訴人に同土地を贈与し、翌二九日その旨の登記が経由された(尚一五七番三の土地は昭和四〇年ころ一五七番一の土地から分筆されたものである)。
3 これらの土地はどのように利用されていたのだろうか。
まず右助左エ門死亡の後は、右竹内タメの夫訴外竹内長次がその全部を耕作していた(但し途中の数年間訴外神馬某に賃貸している)。昭和一二、三年あるいは同一三、四年になって、右武が右長次にかわってその全部を利用することとなり、これら土地の中央部分やゝ東寄りに家屋を建てて居住、耕作を始めた。ここまでは同一人によってこれらの土地が耕作されまた利用されてきていた。
しかしこれ以後、これら土地は分割して、複数人により耕作されるようになった。まず分筆前の一五六番一、二の土地は右武から被控訴人岩崎宅次郎に賃貸されている。それは右武が同被控訴人から借金をし、その利息と賃料とを相殺するためであって、同被控訴人は昭和一七年もしくは一八年から耕作を始めた(何故なら《証拠省略》によると、同被控訴人代理人の「笠原(慶二)さんはその土地(分筆前一五七番一、二の土地)をいつまで耕作してましたか」との問に同被控訴人は「私が(分筆前一五六番一、二の土地を)借りるようになってからも二、三年は作っていたと思います」と供述していることが認められ、言外に自分が分筆前一五六番一、二を借りたのは、笠原慶二が同一五七番一、二の耕作を始めて後のことである旨が明らかとなっているし、しかもかゝる事実は前顕乙第二〇号証および証人笠原慶二の証言するところと完全に合致すること、および同証言によって右笠原が耕作を始めたのは昭和一七年であることが認められる故である。しかもこの事実を前提にすると、後述する昭和一七年五月の境界標設置の理由は分割前一五六番一、二と分割前一五七番一、二とを分けて前者を右笠原に後者を被控訴人岩崎に貸付けるためのものであったことが明確となり、これに立会ったのが右武のほか右竹内長次、タメの三人に限られて右笠原や被控訴人岩崎が立会わなかった理由も首肯しうるところとなるのである)。そして分筆前一五七番一、二の土地は右に見た如く昭和一七年に右武から右タメに返却され、かわって右笠原に貸すこととなったのである。
そうしているうち右武は借財を残したまま、月形町を去って行方が知れなくなり、かわりに右永尾慶助が昭和一八年一二月一三日兵役を終えて月形町に帰ってきた(この前後関係は明らかでない。尚慶助が入隊したのは昭和一四年四月一日である)。そして昭和一八、九年ころ右武の家屋は取毀された。
月形町に戻って来た慶助は、分筆前一五六番一、二の土地が自分の所有名義となっていることもあり、自己の所有する土地であると主張して、被控訴人岩崎にその返還を求めるようになった。そして慶助は右武が残していった右岩崎に対する借金を代位弁済し、昭和二〇年ころに右土地は慶助に返還された(被控訴人岩崎は昭和一四年ころから耕作を始め同一七、八年に慶助に返還した、とするが、誤解に基づく供述と思われる。ただ耕作していた期間は四年間ほどであった、とする意味では当裁判所の右認定とも一致する。)。そして以後、少なくとも昭和二一年ころまでは慶助が右土地を耕作し、その後前述したとおり、被控訴人岩崎に売渡されて同被控訴人が利用するようになったのである。同被控訴人は右土地を当初耕作地として利用していたが、昭和三〇年ころ別紙見取図記載のとおり同被控訴人所有A建物を移築し、また同四一年には同じくB建物を現在の場所に移築して借家用建物とし、残った土地を畑として利用していた。
他方、分筆前一五七番一、二の土地は昭和一九年に右笠原から右竹内タメに返還され、以後竹内タメが畑地として利用していた。そして昭和二五年、同土地上に右タメの娘である控訴人が別紙見取図に記載するC建物を建築(但し現在の位置より道々札幌沼田線寄りであった)し、残った土地を畑として利用する様になった。
4 その後昭和四〇年八月に、道々札幌沼田線の拡張工事も行なわれ、之に伴って分筆前一五六番一、一五七番一はそれぞれ七合五勺づつ分筆されて一五六番三、一五七番三となり、道路用地に編入された。そして、その上に建築されてあった前記C建物は、後方(南方)の現在地に移された。
次に控訴人と被控訴人岩崎は長年隣合って耕作していたにも拘らず、昭和一七年から同四〇年までの間、その境界線の確定や占有しうる土地の範囲をめぐって紛争を生じたことはなかった。境界線ないし占有しうる土地の範囲が争われるに至ったのは昭和四一年以後のことである(被控訴人岩崎は、本人尋問(第一回)において、前記C建物が建築された当時に控訴人と前記永尾慶助との間で境界をめぐる紛争があった旨供述しているが、別事件においては、昭和四一年までは紛争がなかった旨供述し、また証人永尾慶助は「建てるときに私が大工に一尺五寸離して(私の土地に)雨だれが落ちないように建ててくれ、と注意したことはありますが、石田さんには言ってませんね。それで雨だれが落ちないように建てましたね。」と証言しており、これらの証拠に対比すると右供述部分は採用できない。)。そしてこの事実は昭和一七年に分筆前一五六番一、二の土地と同一五七番一、二の土地が二つに分けられ耕作されて以来昭和四〇年までの間、その占有された範囲に変更がない(但し、右道路拡張に関するものを除く)ことを意味するものとして、極めて重要である。
以上の事実が認められ、前顕証拠中右認定に反する証拠部分は誤解によるものと思われ、右認定を左右するに足るものではない。
(二) そこで、昭和一七年以降の各耕作範囲(占有範囲)について検討する。
1 当裁判所が昭和五一年一〇月二七日に行なった検証結果によると、木杭、溜り水を排出する土管の穴、溝状の凹み(別紙見取図Cハで示す)、バラスの散布(その範囲は同見取図の赤色部分である)が認められ、また右凹みによって控訴人と被控訴人岩崎の耕作部分が区分されていることも認められる。そして、その位置等の詳細および右に掲げた以外の状態についても同見取図に記載したとおりである(PRを結ぶ線は札幌高等裁判所昭和四七年二月二八日判決(昭和四四年(ネ)第九二号)で確定した境界である。)。
2 また前顕各証拠に加え、《証拠省略》を綜合して判断すると、右の状況に加え、次の事実が認められる。
即ち、前記のとおり昭和一七年五月前記武、同長次、同タメの三名は分筆前一五六番一、二および同一五七番一、二を二分して前記笠原および被控訴人岩崎に各貸与するためその耕作しうる範囲を確定する目的で境界標(ビール瓶)を設置したこと、昭和四〇年以前において被控訴人岩崎が耕作していた西側範囲は控訴人所有のC建物の東側外壁とは一致せず、その間には若干の距離があったこと(その具体的数値は後に検討する)、右C建物の東側外壁の位置は前記の道路拡張工事による移築によって東側に寄った事実はないこと、バラスの散布は昭和四一年被控訴人岩崎の手によって行なわれたこと、右散布の目的は通路の舗装であってその範囲は被控訴人岩崎の耕作、占有していた西側範囲に沿っていたこと、以上の事実が認められ、前顕証拠中岩崎の耕作範囲および移築による位置の変動に関する右認定に反する部分は、《証拠省略》にてらし採りえない。
3 そこで右12で認定した事実について検討するに、昭和一七年五月に設置せられた境界標の現存を認めるに足る証拠はない。控訴人本人尋問(第三回)の結果中には右認定した木杭が之に代わるものだという供述部分がみられるが、裏付けに欠け、これをそのまゝ採るのは若干困難である。また土管の穴であるが、これもその設置の目的からみて占有範囲と合致するとは考えにくい。溝状の凹みも、その位置を変更するのに著しく困難を来たす、といったものではないから、これだけでは昭和四〇年以前の占有範囲を今日に示しているものと認定することは困難である。
しかしながら、少なくとも次の二つのことは昭和四〇年以前の占有範囲を今日に示すもの、と言ってよい。その一は前述したバラスの散布されている土地の範囲であり、その二は被控訴人岩崎はC建物から二尺ぐらい離れて耕作していたという事実(証人岩崎誠二の証言によりこれを認める。)である。
4 この二つの事実に前記認定の諸事実および控訴人本人尋問の結果とを総合して判断すると、昭和四〇年以前における控訴人の東側耕作範囲は少なくとも別紙図面(一)記載のイロハの各点を結ぶ線までであったと認めることが出来、また前述したとおり、この以前にはその土地範囲をめぐる紛争はなかったのであるから、昭和一七年五月から同二七年五月ないし同三七年五月まで前記竹内タメおよび控訴人において右の線まで耕作が行なわれた、と認めうる。
以上検討したところにより、右竹内タメないし控訴人は別紙目録記載(一)の土地のうちPイロニP地、同目録記載(二)の土地のうちRニロハR地をそれぞれ時効により取得したと認められるが、その余の控訴人が主張する土地範囲についてはこれを認めることが出来ないことに帰する。
三 右に認定したところは、札幌高等裁判所昭和四四年(ネ)第九二号に対する判決で境界線を確定した理由と矛盾するのであるまいか、と疑問を持たれることも考えられるので、念のため一言する。事件において争われたところは、分筆前の一五六番一、二および同一五七番一、二の土地が作られた時期(それは明治時代のことであるが)に定められた境界の位置を確定することにあった。従って、右の時期より後れる昭和一七年五月に前記の三人が境界に関する合意をしたとしても、そのことによって右の意味における境界が変更せられるゆえんのものではないのである。これに対し、本件では右の境界が何処であるか、とは関係なく、現実にどの範囲を誰が占有していたかにあるのであるから、判断の対象は異なり、矛盾するものではないのである。
四 以上によれば、控訴人の本訴請求中、PイロニP地およびRニロハR地について取得時効を理由とする所有権移転登記請求ならびに右両地の所有権確認を求める部分は理由があるから之を認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、また被控訴人岩崎および被控訴人らのイロトホイ地およびロハトロ地についての野菜類収去、土地明渡請求は理由があるから之を認容し、その余の請求は控訴人の反訴抗弁が認められ理由がないから棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法第九六条、第九二条、第九三条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 丹宗朝子 裁判官 前川豪志 上原裕之)
<以下省略>